「ヨーロッパ文化」講義録vol.14

〜ロシア・アヴァンギャルド(2)〜

目 次
(1) フレーブニコフ (2) ロシア・フォルマリズム (3) バフチンの世界
(4) 演劇とメイエルホリド (5) 映画『戦艦ポチョムキン』 (6) 絵画・音楽・建築
 

(1) フレーブニコフ
 イタリア未来派との対立にフレーブニコフは積極的にかかわる。なぜなら彼は反近代、反西欧主義を貫いたユーラシア精神の持ち主だったから。

左:タトリンによるフレーブニコフの肖像(亀山郁夫『甦るフレーブニコフ』晶文社より)

「アストラハンに行く途中の町で突然原因不明の熱病にかかり、痲痺状態に陥り、両足から徐々に腐り始め、黒くただれたその傷口にはウジ虫がわきだしていた。」「強烈な死の感性に呪縛された詩人。」

 ヴォルガ川とアストラハンの誕生は14世紀の終わり、キプチャク汗国の末裔がヴォルガの入り江にひらいた町は、シルクロードの都市として繁栄した。民族的にはハザール人、マジャール人、ポロヴェッツ人、ウィグル人、タタール・モンゴール人その他多数の人種が混血した人びとが登場する。この地がロシア史に現れるのは16世紀後半。その後もイラン、キリギス、中央アジア、インド、ロシアからと移民がたえず、アストラハンはまさに今様の表現に従えば「クレオール」の土地となった。アストラハンにはラマ教を信仰したモンゴル遊牧民の一系統に属するカルムィク人が示すアジア的霊気が漂っていた。

右:カスピ海に注ぐヴォルガ川河口のアストラハン

 フレーブニコフは「カザン大学で数学や生物学、物理学などの自然科学的知性を身につけながら、動植物のハイブリッドで共生的な生態が示す時間・空間概念を人間界の歴史観や思想につなげていこうとした」(今福龍太『クレオール主義』)

フレーブニコフの宇宙的・神秘主義的世界観
「星の単一性へのぼくらの道は、アジアの単一性を通して、大陸の自由を通して地球の自由へといたる道だ」
「ヴォルガの入り江でロシアと中国とインドの大いなる波は出会い、ここに人類と遺伝法則研究の殿堂が建設される。そこでは各種族を交配して、きたるべきアジアの住民の新たなる種族が創造される」

詩朗「笑いの呪文」
 「語根の環を壊さないでスラブ語の諸言語を自由に融合させること。これは日常用語の外にあって、アルファベットの点からみて世界共通語に至る道である」。語根に接頭辞、接尾辞の助けを借りて、古代スラブ語に似た新造語ネオロギズムを増殖していく。単なる語呂合わせの言葉遊びではなく、「全スラブ語」というユートピア的理念の実践を意味している。

右:ロシア語「笑いの呪文」

ロシアの中のオリエント・オリエントの中の日本
 日本のイメージ、日本青年への返事。東京会議への呼びかけ。『甦るフレーブニコフ』に詳しい。フレーブニコフはツシマ沖の海戦でロシア海軍が日本艦隊に敗北した事実に触発され、民族的終末論をいだいた。しかし日本の青年がロシアの新聞にあてた「調和世界」という記事に刺激を受け、精神的高揚をおぼえ、民族的危機意識をのりこえる。同時に日本に顔をむけ、日本の短詩形への強い関心をいだき、日本の青年に国際平和会議を東京で開くよびかけた。


上左:超小説『ザンゲジ』エスキース(1922)/上右:『我らと家々』のためのユートピア建築プラン
(いずれも亀山郁夫『甦るフレーブニコフ』晶文社より)

 

(2) ロシア・フォルマリズム
シクロフスキイの「異化」

 シクロフスキイは「異化」という術語をもちだし、その文化技法をつぎのように定義する。

「生活の感じを取り戻し、ものを感じるために、石を石らしくするために、芸術というものが存在している。芸術の目的は認知すなわち、それと認めることとしてではなく、明視することとして、ものを感じさせることである。また、芸術の手法は、ものを自動化の状態から引き出す異化の方法であり、知覚を難しくし、長引かせる難渋な形式の手法である」

 ロシア・フォルマリズムの意義は異化技法を意識的にとりあげたことにある。視ることは闘いであり、その抵抗感が言葉に取り戻されると、言葉は肌触りの良さから違和感を覚えさせる言葉へ移行する。これがオストラニェーニエ(=異化)である。後述するように異化のひとつの有効な方法としてザウーミ(=超意味言語)が主張される。

「詩的言語」論
 「事物の意味を知ることではなく視ること。そのための詩的言語。言語とは人間と事物との間の概念と音声を通しての闘い。やがて言語を手足のように使い、自動化が生じる。既成の言葉の枠内で対象を捉えるようになる。このオートマチズムから言葉と事物を救わねばならない」
 芸術の革命→新しい言葉の創造→新しい事物の見方→自己と世界の関係の変化→世界と自己の変化。

ロシア・フォルマリズム
 ロシア・フォルマリズムは1916年にあらわれた新しい文学批評あるいは研究に当時つけられた名称である。この批評の特徴は文学を詩的機能の体系としてとらえ、専ら言語の詩的機能の側面から文学作品のフォルムを分析し、それによって見いだされた文学的な諸事実を理論的、客観的に記述しようとする点にある。

 フォルマリズムは日常言語と詩的言語の区別を主張する。クルチョーヌイフは次のように述べている。

「思想と言葉は、霊感を受けた者の体験には追いつかない。それゆえ、芸術家は単に一般的言語だけではなく、一定の意味をもたない、個人的な言語、すなわち意味のない言語(ザウームヌイ)によって自己を表現する自由がある。一般的な言語は拘束するが、自由な言語はより完全に表現することを可能にする」

フォルマリズムに反対するトロツキイ(政治)とバフチン(思想)
 マルクス主義とフォルマリズムの関係は、フォルマリズムに対するトロツキイの批判と、トロツキイへのヤコブソンの弁明に表れている。ヤコブソンはフォルマリズムとは芸術の自己充足ではなく自律性を主張しているにすぎないと弁明。ヤコブソンは芸術が社会構造の構成に不可分な一部であることを否定しない。(桑野隆『バフチン』岩波書店)

 他方、バフチンはロシア・フォルマリズムを批判しているが、フォルマリズムとバフチンは対象への科学的なアプローチの点では共通している。
 

(3) バフチンの世界
 バフチンは1929年1月47日に逮捕され、ソロフキ島からさらにクタイナに移されたが、監獄刑から流刑に変更された。さらに妻と一緒に暮らすことができた。(『ミハイール・バフチンの世界』による)

右:逮捕後のバフチン(1830)

バフチンを解くキーワード「ポリフォニイ」「カーニバル」
 ポリフォニイとは音楽用語で複旋律を指すが、バフチンは望月哲男・鈴木淳一訳『ドストエフスキイの詩学』ちくま学芸文庫で、人間を意識としてとらえ、意識の関係は対他関係、つまり対話の関係にあるとする。モノローグ(=独りごと)も実はもう一人の自分との対話であり、それは多声旋律・複旋律つまりポリフォニイを構成する。ドストエフスキイの小説では思想の声たち(観念を体現した人物たち)の議論がおこなわれ、対話的・対立的矛盾がドストエフスキイ小説世界を構成している。
 また、バフチンは川端香男里訳『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネサンスの民衆文化』せりか書房で、文化と芸術においてカーニバル(祝祭)が果たす機能や、民衆的笑い、グロテスクの意味について説いている。笑いによって権力者や価値を高みから地中に引き落とす。「死と再生」という流行りの理論はバフチンから出ている。引き落とされたものは地中の生命と活力を得て再び復活する。

カーニバル的な笑いと格下げ
 以下、バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネサンスの民衆文化』川端香男里訳26頁から引用。

『高貴なるものの格下げ、引き落としは、グロテスク・リアリズムにおいて、形式的な、相対的な性格は少しも持っていない。「上」「下」とはこの際、絶対的な、厳密に地形学的な意味を持っている。上とは天であり、下とは大地である。大地そのものは吸い込んでしまう原理(墓、胎内)であり、生みだし、再生させる原理(母の懐)である。宇宙的側面から見れば、上と下とはこのようなトポグラフィカルな意味を持っている。本来の肉的側面においては、宇宙的側面とはっきりと区別されるところはないのであるが、上は顔(頭)であり、下とは性殖器官、腹、尻である。上と下が有するこの絶対的なトポグラフィカルな意味合いを、中世のパロディも含めたグロテスク・リアリズムが活用しているのである。格下げ・引き落としとはこの際地上的なものに向かぅこと、一切を飲みこみ、それと同時に生み出す原理としての大地と一体化させることを意味する。つまり格下げ・下落させつつ、埋葬し、同時に播種し、殺すのであるが、それは新たにより良くより大きな形で生むためなのである。下落とは同じく肉体の下層の部分の生活、腹の生活、性殖器官の生活に関与することであって、それ交接、受胎、妊娠、出産というような行為に関与することである。下落は新たな誕生のために肉の墓を堀るのである。それ故、破壊的、否定的な意味だけではなく、積極的、再生的意味を持っている。下落・格下げは両面価値的であって否定すると同時に肯定する。投げ落とすのは、単に下方の無・絶対的な破褒に向かって落とすのではない、生殖カある下層へと、受胎し新たに誕生し、豊かに成育する下層へと、投げおろすことに他ならぬ。これ以外の下層をグロテスク・りアリズムは知らない。この下層部分は生み出す大地であり、胎内である。下層は常に孕むむものである』

道化と愚者の機能
 バフチンはまた『小説の時空間』(邦訳は新時代社から北岡誠司訳)でも文化における道化や愚者の機能について斬新な説をうちだしている。この愚者論はドストエフスキイの『白痴』のムイシュキン公爵にも適用できる。

 古代のギリシャ・ローマ時代になく中世時代の文学作品に初めて登場するタイプとして、悪漢・道化・愚者がある。彼らは中世以後文学的にひじょうに特殊な機能を果たした。第一に広場の見せ物や仮面とのつながり。第二に、これと結びついて彼らの存在そのものが直接的でない、比喩的な意味を持っていた。なぜなら彼らはこの世界で他者であり、異質な存在であるという独自の特権を持っている。彼らの関心はあらゆる地位と立場の裏面と嘘とを見抜くことである。とくに道化と愚者は「この世から来たのではない」者である。

 道化は他者を写しているので、他者から嘲笑され、自嘲もする。こうして公的な広場に自分を登場させ、他人を外在化する。

 道化と愚者は地獄と死のなかにいる王と神であり、王と神のメタモルフォーゼである。従って神と王が罪人や奴隷や道化に変身して、比喩として存在している。ドン・キホーテの例。

 内部の人間の純粋な私も道化と愚者の姿を借りて初めて開示できた。なぜならば内部の人間には、自分にふさわしい直接的な生活様式が見いだせないからである。小説の歴史のなかできわめて重要な機能を果たすことになる「変わり者」という人物像もここから出現する。

 「個人が作者である」文学など、個人が作者でない民間伝承文学の巨大な海では、さしあたり一粒の水滴にすぎないが、それだけに作者個人が本質的な仮面をかぶらなければならない。そこで作者がどの視点を選ぶか、ひじょうに複雑な問題が生じる。

 ジャンルとしての小説には人生を「永遠にスパイし反映する者」という、人間のあり方が見いだされる。

 バフチンの思想はひじょうに独創的でユニークなものであるが、抑圧的なソ連体制のもとでは、陽の目を見ることがおそく(スターリン死後のいわゆる「雪解け」時代にレニングラード大学で学生たちがバフチンをひもどいている)、いわんやオクシデント中心の西欧では、まともにはとりあがられなかった。やっと60年代から西欧一辺倒でない米国でバフチンがとりあげられ、その先駆的な価値が評価され、現代にもなお重要な刺激とあたえ、文化現象への接近において貴重な視点や世界構造の把握の仕方を教えつづけている。新時代社その他から刊行されているバフチンの著作集は必読である。
 

(4) 演劇とメイエルホリド
街頭スペクタクル

 街頭スペクタルとは都市の路上で市民に参加してもらい、巨大なスケールのパフォーマンスを行うことである。1917年十月革命後、内戦も終わりを迎え、ほぼボリシェビキ政府の基盤が確立し始めた頃に、街頭スペクタルが展開され、とくに1920年に最盛期を迎えた。

 既成の制度と価値観の崩壊、虐げられた労働者の解放。人間性と人間の自由の発露のための環境づくり。まずは革命を祝祭として迎えた民衆は、社会的混乱や食料不足、疫病に苦しめられていたにもかかわらず、メーデーや革命記念日のスペクタクルに参加した。街頭スペクタクルは1920年に最盛期を迎えた。「冬宮奪取」「第三インターナショナル」など、数千人から一万人の民衆、兵士ををスペクタクルに動員し、見物人も数万に及んだ。
 演出家の一人ペトロフは、レニングラードの証券取引所前に集まった6000人、さらに膨れあがった12000人を3群に分けて、巨大な投光器やネヴァ川上の軍艦からの発砲も織り交ぜてドラマをダイナミックに展開する興奮を回想記でいきいきと伝えている。

左:街頭スペクタクル『冬宮奪取』より「総指揮者エヴレイノフ」(1920)

メイエルホリドの「ビオメハニカ」
 構成主義の演出家メイホルドが打ち出したビオメハニカとは、物と身体の自己主張を意味する。これは伝統的なリアリズムとしてのスタニスラフスキイ・システムからの離脱であり、新しい主張である。メイエルホリドの演技論は心理や情緒という内側の世界を身体や装置で模写するのではなく、役者が身体を管理し、身体を素材にして、表現に重きを置く表象世界の確立にあった。つまり「文学」から「演劇」への移動である。演劇における身体的表現や演出家の重視が1970年代にフランスを中心とする西欧世界で幅をきかせるようになるが、メイエルホリドはそれをうんと早くしかも鮮やかに過激に実践した。

「舞台はサーカスの軽業師の用具と同じく俳優のための“跳躍台”であって、軽業師のブランコがそれだけでは美的価値をもたず、彼の動きにさえ合ってさえいれば、それが美しかろうとそうでなかろうと軽業師にとってどうでもいいように、『堂々たるコキユ』の構成も装飾的意義にはおかまいなく、専ら俳優の演技拡大のために考えられた」グボズジェフ(『芸術倶楽部(1974年1-2月号)』61頁所収の山内重美『舞台言語の革命』より)

 メイエルホリドはのちに粛清された。

右:メイエルホリド演出の舞台
(いずれも『芸術倶楽部1974年2月号』より)
中:『吠えろ、中国(1926)』
上:ゴーゴリ原作『検察官(1926)』
下:ファイコ原作『ブブス先生(1925)』
(下写真内右上カットは舞台上の一部のアップ)

マヤコフスキイの『ミステリヤ・ブッフ』を演出
 1918年11月革命1周年記念として、メイエルホリドがマヤコフスキイの『ミステリヤ・ブッフ』を演出し、伝統的リアリズム演技を否定した。舞台装置は画家のマレーヴィチが担当した。『ミステリヤ・ブッフ』は聖書でのべられている神話をもじって、労働者たちが地獄や天国をくぐりぬけ、たどりつくユートピアの世界を描いている。それは革命の洪水で一掃された地球で、機械や道具などの事物が主人公だった。

 教育人民委員(文部大臣)は未来派を理解していたが、形式が未来派的なことに危惧していた。(岩田貴『街頭のスペクタル』22〜23頁を参照)

 『ミステリヤ・ブッフ』は聖書の方舟をパロディ化して、労働者の自由な解放を示している。「革命の大洪水のあと、寄生虫どもから徐々に自由になっていく労働者階級の、地獄から天国、約束の地への、陽気で象徴的な旅」(『共産主義的スペクタクル』)
 

(5) 映画『戦艦ポチョムキン』(1925)
映像の誕生

 「1896年両首都でリュミエールのシネマトグラフが上映されてのち、ロシアでも映画への熱意が高まり、映画製作と映画館の数が1909年に劇場の数の5倍にもなった。1895年12月28日、パリのブールバール・デ・キャピシーヌのグラン・カフェの地下室にある「インドの間」で、『リュミエール工場の出口』など10本の作品を初めて有料で観客に見せ、映写時間は約20分にすぎなかったものの、この日が世界の映画 「興行」誕生の日となった。
 このとき上映された『水をかけられた撒水夫』は、世界最初の「喜劇映画」であり、世界最初の「劇映画」として知られる。しかし、リュミエールの代表的作品は、先の『リュミエール工場の出口』や『列車の到着』や『赤ん坊の食事』のような現実の生活やできごとを記録したものであり、これらは「ニュース映画」と「ドキュメンタリー映画」のさきがけとされている。(「ネットで百科」より)

1920年代映画の実験性
 『戦艦ポチョムキン』はもちろんサイレント映画である。せりふの入らぬサイレント映画が第二次世界大戦終了後(1945)アメリカで見直され、アメリカ映画の、ひいては世界の映画の活性化に貢献した。したがって、1920年代の映画は映画の問題というより、その背景にある視覚文化の飛躍的増大として捉えるべきである。映画は絵画・写真にない時間性を、文学にない造形性を、演劇にはない時間と空間の結合を体現することで、また音楽にはない視覚性を発揮し、そのうえでなお音楽と同居するという、どのジャンルからもはみ出て新しい領域を生みだした。

エイゼンシュテイン(右写真/日立デジタル平凡社『マイペディア』より)
 映画監督のエイゼンシュテインは舞台演出家メイエルホリドの弟子で、演出や舞台美術の助手をしていた。メイエルホリドもエイゼンシュテインの才能にいち早く目をつけた。エイゼンシュテインが『戦艦ポチョムキン』を制作したのは27才だった。

『戦艦ポチョムキン』の歴史的背景(政治と映画)・映画の筋の説明
 実際に1917年の十月革命以前に生じた水兵反乱事件を題材にした作品だが、結末は事実と異なる。
1925年に第一次革命(1905)の20周年を記念して制作された映画。したがって当然革命を肯定し、見方によればプロパガンダ(=イデオロギー宣伝)芸術でもある。『戦艦ポチョムキン』が制作された1925年は、前年にレーニンが死亡したばかりで、この年からスターリンがブハーリン、ジノビエフ、カーメネフと組んで、少しずつ権力の頂上をめざし、強敵トロツキイを軍事委員からはずした。トロツキーが国外追放処分にあうのは1929年。1930年にはマヤコフスキイが自殺。スターリンの粛清が始まるのは1934年。1936〜37年に粛清は頂点をむかえる。

 つまり1925年のソ連は、革命が凍結しないで、まだ精神として、またタトリンのユートピア志向の建築物のように生き残っていた最後の年である。しかも青年エイゼンシュテインは十月革命とその後の内戦に積極的に参加し、殺傷行為を目の当たりにした。その経験が後の彼の映画作りに大きな影響をあたえた、と自身のべている。したがって、エイゼンシュテインは『戦艦ポチョムキン』のような一見アジプロ(=煽動・宣伝)とも受け取れる映画を作ることに何らの抵抗を覚えなかったどころか、一種のヒロイズムをもって制作したのでないかと思われる。1925年は革命的に高揚した気分の最後の年だった。

 『戦艦ポチョムキン』の前には、やはり1925年に『ストライキ』を、さらに『新しいものと古いもの』『十月』を制作している。『戦艦ポチョムキン』はモスクワのボリショイ劇場で上映され、大好評を博し、エイゼンシュテインは世界的に有名になった。

演劇と映画
 演劇と映画は競合関係にあり、『戦艦ポチョムキン』が上演された1925年には、ポヤノフによって『演劇の死と映画の勝利』というパンフレットが書かれた。これがもちろん誤りであることは、現代の状況が雄弁に語っている。
 最初の頃、つまり今世紀の初めには、マヤコフスキイもメイエルホリドも、映画の役割を自然の模倣と見て、映画をアートではなく技術として見ていた。その見方がまもなく変わって、「総合芸術」としての映画の可能性に期待をかけるようになる。

「モンタージュ」理論
 無声映画であるために、言葉の代わりに、各ショット(一場面の連続)の結合によるイメージの喚起が必要になる。「ウジ虫のたかった牛肉などを食べさせるから、水兵たちに不満がたまる」ことを観客に理解させるために、ウジ虫のはう肉片をアップする。これに艦内での見張りの厳しさが対置される。また艦上の舳先に神父が現れるシーンがある。神父の一連の行為がひとつのショット。司祭が手にしているのは、死に行く者への十字架であり、これが射殺される甲板上の兵士たちの不安と怒りを秘めた動きの各ショットと合成されることで、一連のイメージを観客に生じさせる。このショットの結合がワンシーン(シークェンス)。

 サイレント映画なので、登場人物の言葉に頼れない。最小限度のト書き・説明だけですまし、観客の想像力、イメージ喚起に訴える方法をとることになる。クレショフは「重要なのは撮影された断片ではなく、こうした断片の転換や交換である」といっている。その際エイゼンシュテインはモンタージュをショットの衝突と見る。反乱する兵士の動きと士官の動きその他。オデッサの階段での整然と進みながら発砲するする軍隊と転げ落ちる群衆の混乱。坐っているライオンと立ちあがるライオン。

 これとは反対に、ジガ・ヴェルトフはモンタージュmontageをショット(一場面の連続)の結合と見る。

エイゼンシュテインの構成主義
 モノクロ映画なので、白と黒の対比、光と闇、光と影の対比性、二つの要素の構成主義的な総合が特徴的。また画面を占める物体の構成も構成主義的である。例えば水兵のハンモック、立てかけた銃、大砲の弾丸、兵士の群としての動き、帆掛け船の帆走、反乱の犠牲になった下士官ワリンチュクの遺体に哀悼を捧げる民衆の列の形、オデッサの階段での銃兵の動きなど、構成主義ふうに制作されている。大石雅彦はその著書『ロシア・アヴァンギャルド遊泳』の中で、これを「大胆な斜線構図」呼んでいる。
 また、日本文学を研究したエイゼンシュテインは象形文字の意味をよく知っていて、これを自分のモンタージュ理論に適応したことが指摘されている。このことについては、ヴャチェスラフ=イワノフ『エイゼンシュテインと現代の構造言語学』桑野隆・岩本憲児訳(『芸術倶楽部1974年1月号』159頁に収録)を参照。

サイレント映画での効果装置
 さらにエイゼンシティンがねらったのは力動感である。軍艦の前進、盛り上がる反乱、整然とした虐殺、艦内の緊張した戦闘準備、波の動きと、それらの効果をあげるショスタコヴィチの音楽。もっともエイゼンシュテインが音楽にとくべつ注意するようになったのは、さらに後の『アレクサンドル・ネフスキイ』制作のときである。

『戦艦ポチョムキン』後のエイゼンシュテイン
 1930年から31年にかけ、各国の招待でヨーロッパとアメリカに出向き、ケンブリッジ大学やソルボンヌ大学、ハーバード大学などで講演、アインシュタインやハンス・リヒター、ジャン・コクトーやジェームス・ジョイス、チャップリンらありとあらゆる著名人と知り合った。スターリンとしてはエイゼンシュテインにプロパガンダ映画制作のご褒美をあたえたのかもしれない。また作家エレンブルグが欧米で果たしたソ連共産主義の文化使節の役割を、エイゼンシュテインに果たさせるつもりだったのかもしれない。

右:オデッサ階段に腰掛けるエイゼンシュテイン(1934)

 エイゼンシュテインはアメリカのハリウッドを訪れ、合作が企画され、メキシコに渡り、『メキシコ万歳』が制作されたが、意見がかみ合わず、再び米国に戻った。このとき米国のジャーナリズムではエイゼンシュテインを共産主義の手先、集団農場のプロパガンジストとしてあつかった。『メキシコ万歳』の主題が「革命」だったからだろう。

帰国後のエイゼンシュテイン
 1931年にモスクワに帰国すると、社会状況が一変していたので、驚く。エイゼンシュテインは新設された映画大学の監督科主任に任命されるが、周囲から自己批判をせまられた。エイゼンシュテインが浮かれださないように、スターリンが手綱をしめたのだろう。エイゼンシュテインは機知と冗談の好きな人物だったからである。

 やっと38年に『アレクサンドル・ネフスキイ』の制作を許可される。エイゼンシュテインは集団を描くのに定評があり、ロシアを救った英雄アレクサンドル・ネフスキイを扱った『アレクサンドル・ネフスキイ』は、エイゼンシュテイン自身の回想記によれば、集団ではなくネフスキイ個人に焦点をすえ、そこにスターリン像を合わせたという。しかし、エイゼンシュテインは1948年、つまりスターリン(1953年死亡)より前に亡くなったのであるから、この発言の真意がどこにあるのか、問題である。第二次世界大戦末期に制作された『イワン雷帝』(1944〜46)も有名である。

物語の解体
 リオタールが『ポストモダンの条件』で、大文字の物語つまり近代の否定をおこなったことは「物語の解体」ですでに述べたが、ロシア・アヴァンギャルドの映画理論家たちも、とうぜん種々の意味での「物語の解体」を念頭においていた。

写実主義への反動
 シクロフスキイは『新レフ』という論文で次のように述べている。

「今日の映画芸術はもはや伝統的なプロットを必要としなくなっている。エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』は劇映画だが、素材の変形を最小限にとどめており、脱プロット作品である。この種の作品では素材の性格は、多分に疑わしいプロットの性格よりも重要である」

 またシクロフスキイは『エイゼンシュテインと非・劇映画』でこう述べている。

「今日の映画芸術は伝統的なプロットを必要としなくなっている。エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』。これは劇映画だが、素材の変形を最小限にとどめていて、脱プロット作品である。即ち“脱・劇映画”とはモンタージュという意味である」
 

(6) 絵画・音楽・建築
絵画

 マレーヴィチが主張した「シュプレマチズム」とは非対称性、つまり抽象絵画のことであり、彼自身は未来派を否定して「シュプレマチズム」を唱えた。彼の思想の根底にあるのは宇宙精神であり、非常に宇宙感覚の発達した人物である。これはフョードロフやツィオルコフスキイを初めとするロシアの思想家に伝統的な系譜に入れることができる。

音楽
 講義ではモソロフの『鉄工所』を聴いた。ショスタコーヴィチ、ハチャトリアンその他、現代音楽の領域にわたる傑作が作曲されたが、共産主義体制はこうした不協和音的な展開を許さなかった。従って、スターリン批判後の「雪解け」時代(1956年以降)に渡米したショスタコーヴィチは、『革命』や『レニングラード』などの傑作が世界に知れわたっていたにも関わらず、技法が遅れていることを米国の専門家に指摘され、ショックを受けた。

建築
 タトリン『ロシア・アヴァンギャルド4 構成主義の展開』339頁の解説を参照。
タトリン教壇に立つ。これについてはタトリンの論文「技術に向かう芸術」(『ロシア・アヴァンギャルド4 構成主義の展開』341頁に所収)に詳しい。
 タトリンの模型が現実的な建築のプロジェクトというより、革命初期における模型そのものの持つモニュメント的な意味について触れている中原祐介の論文(『美術手帳1982年3-4月号』)が有効。
 それでもなお、スペイン、バルセロナに立つ超現実的なガウディの塔などを念頭におくと、とりわけ現代の建築技術をもってすれば、タトリンの「第三インターナショナル記念塔」は、こんにちならば実現可能ではないだろうか。記念塔には会議室などの現実な空間も予定されている。そう思わせるのが、八束はじめ『ロシア・アヴァンギャルド建築』(INAX1993)における指摘である(同書17頁)。この本はストラヴィンスキイやマレーヴィチにもふれているが、マレーヴィチと同じくタトリンもまた宇宙感覚の強い芸術家だった。
 

お奨め文献
岩田貴『街頭のスペクタル』群像社
ブローン『メイエルホリドの全体像』浦雅春訳/晶文社
国書刊行会『ロシア・アヴァンギャルド』全8巻(論文集)
エラーギン『暗き天才メイエルホリド』青山太郎訳/みすず書房
バロン編『ロシア・アヴァンギャルド』五十殿利治訳/リプロポート
『美術手帖1982年2月号』「ロシア・アヴァンギャルドのデザイン感覚」特集
クラーク、ホルイスト共訳『ミハイール・バフチーンの世界』川端・鈴木晶訳
マルセル・マルタン編『回想のロシア・アヴァンギャルド』岩本・大石他訳/新時代社
バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』川端香男里訳/せりか書房
マレーヴィチ『零の形態 スプレマチズム芸術論集』宇佐見多佳子訳/水声社
リッペリーノ『マヤコフスキイとロシア・アヴァンギャルド演劇』河出書房
八束はじめ『ロシア・アヴァンギャルド建築』INAX1993
海野弘『ロシア・アヴァンギャルドのデザイン』新曜社
ロトマン『映画の記号論』大石雅彦訳/平凡社
『ユリイカ1985年12月号』未来派特集
 エイゼンシュテイン『映画演出法講義』中本信幸訳/未来社

その他、各自図書館で検索してください。なお列挙文献については日本語に限定しています。
 



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