(1)『悪霊』題辞1
豚と悪霊
「ところで、その辺りの山で、たくさんの豚がえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった」
[ルカによる福音書8章32節]
(2)『悪霊』題辞2
「悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群は崖をくだって湖になだれこみ、おぼれ死んだ」
[ルカによる福音書8章33節]右:『悪霊』の作者の戯画
(3) 事件の真相
マルクスと無政府主義者バクーニン
ネチャーエフの陰謀、殺害
スイスでバクーニンに会う
革命カテキズムの作成1869年11月27日、モスクワで、町はずれの森の中の凍った池の下から青年の死体が浮かび上がった。農業大学学生イワーノフの遺体であることが判明。犯人逮捕に至るまでに主犯のネチャーエフは国外へ逃亡。ネチャーエフの指揮下で殺害に荷担した5人組が裁判にかけられた。その経緯はルネ・カナック『ネチャーエフ』に詳しい。
主犯のネチャーエフは1868年3月、スイスのジュネーブにバクーニンを訪れ、バクーニンから委任状を受け取り、これを水戸黄門の印籠代わりに使って、国内で革命秘密グループの結成にのりだした。ところが、ネチャーエフの言動に不信感をつのらせた農業大学学生イワーノフが離脱を決めたので、ネチャーエフが彼を殺害するよう同志を脅し、すかして実行に移した。彼は革命という目的のためには手段を選ばない男だった。
ドストエフスキイは国外にいて新聞でこの事件を追い、これを題材にして『悪霊』を書くことを即座にきめた。
『地下室の手記』や『罪と罰』を執筆してから『悪霊』執筆に至るまでのロシア社会状勢については、こちらを参照。
(4) 悪霊たち
ピョートル・ヴェルホヴェンスキイ:
ピョートル・ヴェルホベンスキイのモデルはネチャーエフ。ステパン氏のモデルはリベラリストの教授、西欧派グラスノフスキイ。「追放」や「流刑」を気取る自由主義者への逆説的な皮肉。語り手は「ステパン氏を尊敬している」と言っているのだから。ドストエフスキイは潔白なリベラリストが嫌いだったらしい。なぜならレーニンみたいな「潔白な」革命家が登場して、潔白に革命と粛清を行うからである。
左:バクーニンの肖像
右:ネチャーエフの肖像『悪霊』の出だしは、したがってピョートルの父親(小説ではステパン氏は扇動者ピョートルの父親)についての伝記的コメントというより、1840年代の理想主義世代に対するドストエフスキイの文明批評であることが、今回理解できた。
スタヴローギンのモデルは、国際的に有名な無政府主義者バクーニンや、20年前にドストエフスキイが関係した「ペトラシェフスキイの会」の謎をはらんだ人物スペシネフというのが通説となっている。
『悪霊』(1870)では西欧からきた無神論、唯物論、ニヒリズムが悪霊にたとえられ、これにとりつかれた青年がリンチ殺人事件をひき起こしたという設定。ピョートルがスタヴローギンを偶像に仕立てて陰謀団を組織し、国家の転覆を計画。人間感情を全く無視して、政府転覆の陰謀にのみ集中し、その一点からしか人間関係を築けない。人間を信用していない。ピョートルは単純な直情型のしかも冷笑的(シニズム)な青年だが、彼の言葉にならぬ思想の代弁者がシガリョフである。後者については後述する。
シャートフの思想:
シャートフはスタヴローギン家(つまりスタヴローギンの母親)に仕える農奴の息子で、幼いときにニコライ・スタヴローギンらと共に家庭教師である元大学教授のステパンに学んだ。シャートフは、えせ理想主義者ステパンの影響をうけて育った。大学にも進み、そこで社会主義を知りピョートルの秘密結社に加わっていたが、その後は転向して「ロシア国民こそは人類を救済するために神によって選ばれた民である」「神の体得者である」というロシア・メシアニズムの信奉者となった。[11-244及び11-247〜249]これは以前スタヴローギンによって吹き込まれた思想である。「神とは国民の総括的人格である」「宗教、即ち善悪の観念をもなない国民はいまだ存在したことがない」「いかなる時もすべての民族は自分の神をもっていた」「理性は一度も善悪の定義をくだすことができなかった」などの説をとうとうと語り、最後には「自分の神をもって世界を征服し、その他の神をこの世から追放する。これを信じてこそ、本当の国民である」と説く。
ドストエフスキイはシャートフをして「もっとも悪いのは半科学であり、自分自身が半科学なのだ」と言わせている。「半科学」という言葉は意味深長である。
シャートフはピョートルと常に意見を異にし、離党を宣言。「五人組はロシア全国に存在する」というピョートルの虚偽を見破っていた。それでピョートルはシャートフを殺害し、メンバーをこの犯罪で結びつける。
虚としてのスタヴローギン:
その外貌と過去。スキャンダル、決闘2件(殺人と傷害)裁判、兵士に降下、流刑。パーティで、ある人物の鼻を掴んで引きずりまわす。知事の耳を噛む。外国に3年、革命の研究に出かけていたともいう。精神異常か否かは不明。キリーロフとの対話で反道徳的な視点を示す。月で醜悪な行為をしても、地球に来てしまえば、気にはならない。[11-233]ビデオ『悪霊』シャートフ殺害(6分)
殺害シーン[12-217〜219]
(5) 神人思想から人神思想へ
『罪と罰』のラスコリニコフの論理→キリーロフの思想
ラスコリニコフの他者殺害
キリーロフの自己殺害
キリーロフの遺書にシャートフ殺害を告白させる
キリーロフの人神思想:神が存在しなとなれば、人間が神になるべきであり、自分が神であることを証明するために、自分の生命を神の摂理ではなく自分の意志で無にする、その最初の実験者たらんとする。死ぬことへの恐怖を殺すために自殺する者だけが初めて神になる。
「生きても生きなくても同じになった人が、新人なのです。苦痛と恐怖を征服した人は自ら神となる」しかも、その瞬間には「永遠の生」を獲得する。
「そういう瞬間がある。その瞬間まで行きつくと、突然時間が停止して、永遠になるのです」[11-234]
黙示録の「時はもはやなかるべし」解釈。幸福な時間の停止と永遠。ここでは、幸福の概念がひじょうに高められて使用されている。
「ぼくの神の属性は<我意>だよ」
「我意」своевольеは『地下室の手記』から。また、「時の停止」は『白痴』から引きつがれている。
キリーロフとの関係:
シャートフ殺害の罪を自殺志願者のキリーロフに押しつけ、彼にシャートフを殺した旨の遺書を自殺間際に書かせる。
自殺の場面は[12-235〜238]
署名についての解釈[12-234]「ロシアの貴族・神学生にして文明世界の市民」ドストエフスキイの批判。ビデオ『悪霊』のキリーロフの自殺(6分)
(6) キリーロフの人神思想
神の属性としての我意。自殺は不服従と新しい自由を示すため。[12-232]ビデオ『悪霊』スタヴローギン放映せぬ理由
ポーランドのアンジェ・ワイダ監督作品。映画のスタヴローギンはマフィアの若頭のような安っぽい印象をあたえる。映像は読者の想像力を裏切る。媒体としては一番貧弱な活字が逆に、最も強く人びとの想像力の働きを促す。◎イラストビデオ『悪霊』
(7) スタヴローギン
スタヴローギンいわばピョートル、シャートフ、キリーロフという3人の使徒がいて、かつてのスタヴローギンの思想や観念を体現して行動する。ところがスタヴローギン自身は自分の人格・キャラクターとして統一したものを持たず、彼にに巣くっているのはニヒリズムである。それの表出が小説の最後に挿入されているチーホン僧正を前にしての「スタヴローギンの告白」の章である。「スタヴローギンの告白」:[12-287]
「善悪、すべての偏見から自由になりうるのだが、その自由を手にいれた瞬間、私は破滅する」[12-310]
自由を手に入れた彼は、孤独な少女を誘惑して犯すというおぞましい行為にでる。ドストエフスキイはここで人間の可能性の下限を提示し、スタヴローギンには自殺させている。
(8) 総括1
ドストエフスキイと文明批評
「時代」誌と「世紀」誌の執筆を通して時事評論:フェリエトン、文明批評を展開。
半世紀後のソ連共産主義への予見
ピョートルとシガリョフ主義
全体主義の監視体制と密告制度ピョートル・ヴェルホーヴェンスキイ=シガリョフは、彼の代弁者1/10のエリートと9/10の奴隷。人格を失って何代かの改造のはてに家畜の群になる。地上の楽園を構築。[12-22]
密告制度。個性・能力(天才)の追放と平等主義。[12-36]右:「時代」誌と「世紀」誌
理解のための断片:
ピョートルはスタヴローギンを偶像化し、かつ愛している。→「スタヴローギン、君は美男子ですよ」[12ー36〜38]
ピョートルはスタヴローギンを事件に巻き込むために彼の尻尾をにぎる。つまり、スタヴローギンをしてスタヴローギンにうるさくつきまとうレビャートキン兄妹殺害に関与させる。脱獄囚フェージカにスタヴローギンの指示を暗示としてうけさせる。
(9) 総括2
小説作品における観念と性格の結合:
スタヴローギンが訪れたとき、キリーロフ「全く新しい考えを感じたのです」と言う。[11-233]
ドストエフスキイの作中人物たちは思想や観念を充電されている。観念に動かされ、或いは観念を感じ、いずれにしろ観念と結びついて行動する人物たちである。キャラクターの創造:
作家は実際に起こった事件を借りて、その枠組みに自分の視点を基礎的データーとして打ち込み、つまり自分の観念をインストールし、拡大されたヴァーチャル空間で観念を充電された人物を生き生きと行動させる。そこに思想的な文脈が生じるる。
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