(1) ゴシックの復活
1750〜65年ウォルポールがストロベリーヒルで。ゴシック様式と装飾への執着。ゴシック式英国庭園。
写真下:ホラス・ウォルポールとその館ゴシックは17世紀半ばに復活する。それはイギリスの有名な家系の貴族ホラス・ウォルポールがロンドンから電車で1時間の郊外、ストロベリーヒルに地所と建物を購入し、これに手をくわえて1750年にゴシック化工事を始め、65年に完成した。
(2) ピクチャレスク絵画
クロード・ローランの自然と人工。ウォルポールのアルプス旅行。ゴシック絵画のジャンル。当時のイギリスにとってはフランスやイタリアが文化先進国だったので、イギリスの大貴族たちは子弟をフランスやイタリアに遊学させた。彼らがピレネー山脈をこえるときに初めて目の当たりにしたのが、アルプスの山や崖だった。ウォルポールも「凄い」と息もつけぬくらい感動して、知人に手紙を書きおくっている。感動のあまり「サルヴァトール・ローザだ!」と加えている。それはサルヴァトール・ローザの絵のような風景だと言おうとしたのである。
サルヴァトール・ローザはクロード・ロランと並んで当時のpicturesqe絵画の最も有名な画家だった。クロード・ロランの絵はギリシャや聖書時代、つまり廃墟の時代をあつかった人工的なもので、牧歌的な印象をあたえる。それでも自然の描写ではなく、観念的な絵。それでクロード・ロランはのちにドストエフスキイに感銘をあたえて、ドストエフスキイの「黄金時代」という思想と結びつく。ドストエフスキイにはキリスト教的な思考があり、同時にキリスト教以前の前期ギリシャのユートピア時代を憧憬する側面がある。
同じ人工的、観念的な絵でも、サルヴァトール・ローザの絵は雷鳴の響きのような壮絶な印象をあたえた。イギリスにはそびえるような山や断崖がないために、イギリス人たちは驚いた。彼らはpicturesqe絵画をしこたま買いこみ、またイギリスでもpicturesqe画家がはやる。「絵のように美しい」自然ではなく、観念的で、どこか非日常的な所のある絵画。イギリス庭園にもまた、今日ゴシック庭園と呼ばれる様式が生じました。それはフランス風の幾何学的な均衡を保った庭園ではなく、わざわざ廃墟を新しく築いたり、鬱蒼と樹を繁らせたり、迷路のような庭園を好んだ。
廃墟ツァーが盛んにおこなわれるような世相を背景にして、ウイリアム・ギルビンは紀行文を書き、ゴシック庭園・風景の紹介、啓蒙をおこなった。(小池滋『ゴシック小説を読む』岩波書店刊を参照)
ただし建築様式だけはイタリアはミケランジェロのルネサンス様式の国で、ゴシック建築はないので建物だけは自前のもので、自国のウェストミンスター寺院その他のゴシック様式を復活させた。その傾向はウォルポールより以前に姿を見せていたが、やはり鮮明に旗揚げするように復活させたのはウォルポールである。
(3) 恐怖小説の誕生
ゴシック館完成後二カ月で執筆。『オトラントの城』(1764)。城主マンフレッド侯と世継ぎの息子の怪死。超越者の預言の謎。マンフレドと家族の崩壊。「崇高」の顕現。写真下:オトラントの城1764年6月初めの早朝、ウォルポールはある夢を見て、本人自身、自分の意図も理解できぬまま小説を執筆しはじめた。
「『オトラントの城』を二カ月で執筆した。また驚いたことに、ウォルポールは地図を見て南イタリアに実在する響きのいい地名を、小説の城の名に用いたにすぎないのに、イタリアの友人が送ってくれた現存するオトラントの城館の版画を見て、自分の想像どおりだったことにあぜんとした。そして、南イタリアの実在のオトラント城館でも、小説と同じように領有権をめぐる紛争があったという。しかも簒奪者の名はマンフレッド、奪回者は修道士。ウォルポールはこの史実を知っていたのではないか」と、翻訳者の井出弘之氏は書いている。(国書刊行会ゴシック叢書27頁・1983年)『オトラントの城』(1764)
16世紀イタリアが舞台。オトラントの城主マンフレッド侯は、超越者の予告どおりとつぜん降って湧いた巨大な兜に息子が押し潰されて死ぬと、息子と結婚するばかりになっていたイザベラ妃に迫り、妻と離婚しようとする。この小説は超越者の預言にさからい権力に執着する城主と家族の崩壊の物語である。
「オトラントの城館と領主権(支配)は、真の所有主が住まいきれなくなるほど大きくなった暁には、現在の一族の手を離れるであろう」という預言があったためにマンフレッドは15歳の息子の結婚を急ぎ、嫁にイザベラ。結婚式直前に息子は姿を消し、中庭で巨大な兜に押しつぶされて死ぬ。小説はこの怪異な事件から始まる。マンフレッドは呆然とこの事実を見守る。イザベラはもともと愛していなかった婿殿の異変を見にいかず、卒倒した義理の母親の介護に当たるふりをした。
マンフレッドはこの兜の正体を見きわめようと試みた。彼が集まった群衆に推理を申し立てさせると、ある若者が「善良なるアルフォンソ様の黒い大理石像がかぶっておられる兜にそっくり」と言ったために、マンフレッドは逆上、憤怒して若者を逮捕し、殺そうとする。まもなく、実際当の兜が消え失せたとの情報が入り、若者が妖術師扱いされる。
自室に閉じこもり、妻や娘との面会すらこばんだマンフレッドが、イザベラだけは呼びよせた。彼は息子のこと、わが妻のことは考えるな、わしの嫁になれと強要する。そのとき例の兜が窓ぎわに現れ、額縁の祖父の肖像が降りてきて、その隙にイザベラ逃亡。城館地下穴蔵から聖ニコラス教会堂へ通じる地下道にランプを手に逃げ込む。暗闇のなかで、昼間、マンフレッドに兜の件で逮捕された青年が彼女を逃し、自身は失敗する。そこにマンフレッドがやってきて、やりとり。度胸のある青年は時間をかせいて、姫を遠くへ逃してやる。青年の名はセオドアということがのちにわかる。
家来がマンフレッドの後に続いてやってくるが、回廊の大きな部屋で兜にふさわしい巨人が横たわっているのを見たという。マンフレッドはヒッポリタとマティルダ(妻と娘)の部屋に行き離婚の予告めいた猛々しい言動をとる。だがヒッポリタは物の怪を見たとの家臣の報告を信じ、自分がけなげにも最初の犠牲者になろうと決意。さすがにマンフレッドも気持がやわらぐ。
アルフォンソ(本来オトラント城の領主になるべきはずだった人物)像から鼻血が3滴たれた。マンフレッド色青ざめるが、ヒッポリタとの離婚の手続きを館内で行おうとする。セオドアがアルフォンソ像にそっくりなのがマンフレッドを憂慮させた。マンフレッドの内心の葛藤。ビアンカ(侍女)から聞きだした話に回廊の巨大な手やその他の不気味な内容。マンフレッドは動揺。
孤児だったはずのイザベラの父フレデリック出現。マンフレッドが彼に私たちはお互いの娘と結婚しようと提案、フレデリックもマンフレッドの娘マティルダと結婚する気になる。フレデリックの前に、今はなき、かつて彼に誓いと立てさせた隠者が骸骨の姿で出現、「そなたは刃に彫られた天の指図を忘れたのか。」フレデリックの血は凍りついた。
マンフレッドは家僕の注進で、アルフォンソの墓所へと急ぎ、そこで「マンフレッドは私たちの結婚を許してくださらにでしょう」とのひそひそ声を聞き、怒って短剣を、暗闇のなかで恋する相手のセオドアとたまたま会っていた自分の娘マティルダの胸に、突き刺す。それが娘と知ってマンフレッドは自殺しようとする。
セオドアはマティルダのことを心配して城館におもむく途中ヒッポリタとイザベラに会い、「亡くなったか」。
その瞬間、にわかに雷の一撃が城館をその底から揺さぶった。・・セオドアが姿を現した瞬間、マンフレッドの背後で城館の城壁がもの凄い勢いで崩れ落ち、本来の城主であるはずだったアルフォンソの石像の巨大な幻が廃墟にあらわれ、宣託をのべると、雷鳴の轟くなかを、厳かに天へと昇り始める。天空の雲が裂け、聖ニコラスが幻を受けとめ、栄光の炎に包まれて、人びとの眼から消える。これを眺めた人びとは「天の意志」を認め、地面にひれ伏した。
マンフレッドの告白と懺悔。彼は翌日からヒッポリタとともに僧服をまとって修道院ですごすことになった。
(4) ゴシック小説の条件
洞窟、暗い森、寺院、修道院、城、月光、墓地、悪意をもつ人物、虐げられる若い娘、超人間的な魔力。『オトラントの城』の最後に「崇高」の出現。ここには洞窟、暗い森、寺院、修道院、城、月光、墓地、悪意をもつ人物、虐げられる若い娘、超人間的な魔力など田園ゴシック小説の道具がすべて揃っている。とりわけ最終章では、およそ荒唐無稽で、非論理的な筋と心理の展開にはとまどいを覚えつつも、『オトラント城奇怪譚』が「崇高なるもの」への畏敬と恐怖の念に満ちていることは認めざるをえない。同時に恐怖の念もまた、或いは畏敬の念以上に強く示されている。『オトラントの城』そのものは二流の作品だが、ウォルポール自身は旧来の文学にあきたらず、新しい「豊かな思考の領域を開拓する」意気込みでこの作品にとりくんだ。その意図の斬新さは現代にも受けつがれている。
300年後に中世ゴシックを継承したリバイバル・ゴシック人のウォルポールは「崇高なるもの」や不可思議な神秘を、火柱や巨大な兜という隠喩でしか姿をあらわさぬ恐怖の対象としてとらえた。以後、このジャンルの小説は『オトラントの城』に従って、ロマン主義時代に恐怖と怪奇と神秘の色彩を濃くしながら、人間の暗部に立ち入り、独自の世界を生みだした。
(5) 畸人列伝
ウイリアム・ベックフォード(1760〜1844)。『ヴァセック』(1787)を書いてから、館の造営。広大な領地を塀で囲い世間とは没交渉。
写真左:ベックフォードの肖像
ベックフォードのゴシック小説『ヴァセック』にはオリエントの要素が入ってくる。千一夜物語的な要素とゴシック的要素の混合。
フォントヒル・アビーにゴシック邸宅を建て、一度結婚したが、妻に早く先立たれると、世間とは没交渉で一生を過ごした。娘もいたが、結婚式には顔も出さなかった。ヨーロッパからつれてきたサーカスの小男とか変わった者をひきつれてフォントヒル・アビーにこもったままなので、中世のファウストのようにさまざまな噂をまねいた。4メートルの高さの塀を12キロにわたって張り巡らせた。誰も領地内に入ることを禁じた。ベックフォードはウォルポールと反対に最初にゴシック小説『ヴァセック』を書いてから、70メートルの城館を建てた。有名なネルソン提督を招いた。彼は50歳を過ぎていた。
「或る者は不幸を忘れるために飲む。私は飲まない。私は建築するのだ」(1812年の日記) 渋沢龍彦『異端の肖像』
アン・ラドクリフの『ユードルフォの謎』(1794)もまたベストセラーになる。いずれの小説も国書刊行会『ゴシック叢書』に収録。
写真上:ゴシック寺院とベックフォード邸フォントヒル・アビー内部
(6) 崇高と美の観念の起源
「快と不快による基準」エドマンド・バーグ。「崇高とは何か」カントその他。恐怖と畏敬の念。エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起源』(1757)
崇高とは強力なものや広大さ、また無限なるものによって喚起される力業である。荘厳さ。闇のほうが光より崇高さに近い。さらに闇から光への急速な推移が崇高さを感じさせる。光も迅速な稲妻のほうが崇高にちかい。建築物は大きいことが崇高さを感じさせる。崇高な建築物は陰鬱にしなければならない。闇のほうが光より情念を表すから。バークの建築論がウォルポールの建築に影響をあたえ与えたかどうかは時間的に微妙なところだが、ウォルポールの建築開始の時期はエドマンド・バークの著書より7年早い。ウォルポールは1750年に館のゴシック化造営を始めている。ただし造営は1764年までつづき、そのちょうど真ん中の時期にエドマンド・バークの『崇高と美の観念の起源』が位置する。少なくとも改造の途中でバークの著書を読んだことが推定される。
崇高をうみだす色彩。唐突さ断続音。他方、美というのは小規模で繊細で柔軟で融合的で、柔和で、明るく澄んで、混合色でなければならない。
(7)『フランケンシュタイン』(1818)
メアリ・シェリー(1797〜1851)。副題は「現代のプロメティウス」。夫のW・シェリーは『解放されたプロメティウス』(1818)を執筆。怪奇小説→SF小説→クローン人間。その後のゴシック小説の行方(『城と眩暈』の山野浩一の論文参照)
ゴシック小説は大衆小説として英語圏のアメリカを初め各国で競って読まれた。ドストエフスキイも少年時代に恐怖にぞくぞくしながら話を聞いた。ロシアでもゴシック小説は読まれただけではなく、作家にも影響を与えた。レールモントフも、ゴーゴリも、プーシキンもゴシック小説を書いている。メアリ・シェリー『フランケンシュタイン <現代のプロメティウス>』(1818)
父親が有名な社会主義者ゴドウインで母親が婦人開放論者の娘メアリの夫がウイリアム・シェリーという、バイロンと並ぶ有名なロマン派詩人で(二人はイタリアで会っている)、二人ともプロメテウスを自由と反抗の象徴とみなした。ウイリアム・シェリーが『解放されたプロメテウス』を書いた1818年はメアリ・シェリーが『フランケンシュタイン』を書いた年でもある。メアリー夫妻とポリドリとバイロンとその恋人クレアモントでメアリの友人と4人がスイスのジュネーブで一時いっしょに幽霊話をしようと皆で毎晩集まった。結局、メアリ・シェリーが『フランケンシュテイン』をポリドリがバイロンから種を仕入れて『吸血鬼』を書いた。
ウジェーヌ・シュー『パリの秘密』(1842〜43)
船員、軍医、莫大な遺産、社交界、貧民街を訪れる。バルザックの向こうを張る。バルザックの敵だったジョルジュ・サンドはこれを賞賛する。ビクトル・ユゴー、ドストエフスキイ、トルストイそれぞれに愛読。ゴシック小説の傾向ホフマン、プーシキン、ドストエフスキイ、チェーホフ、カフカその他多数の作家に見られる。米国ではエドガ・アラン・ポーがいて、これが一昔前のホラー映画に展開される。
(8) 現代のゴシック
スピルバーグ『ジョーズ』。スピルバーグ『未知との遭遇』。文明の表層と原始的本能(市民社会と恐怖)。本来、アメリカでは歴史や伝統が浅いので、ゴシック要素は過去よりは未来に向かいがちで、SFへと変貌をとげる。
『ハリケーン』の竜巻の壮絶さと弱い人間の関係。スピルバーグ監督の『ジョーズ』や『ジュラシック・パーク』は原始や大自然の過去の有する超人的な力業への恐怖から成立している。
『未知との遭遇』が扱っている主題は宇宙という大自然であるが、それは過去ではなく未来からバックしてきた超人間的力業である。ここでは陶酔と恐怖感が入り交じっていて、最後のUFOとの第三種接近遭遇の際にも、必ず恐怖的な要素を監督は盛り込み、同時に崇高感を表現することも忘れていない。UFOの放つ照明は講義3でとりあげたゴシック寺院の薔薇窓であり、人類との交流の音楽はパイプオルガンの音色を連想させる。科学はもはや真理と安定をもたらすものではなく、不安と謎を引き起こすものとなった。(ロジェ・カイヨワ『妖精物語からSFへ』朝日出版社)→同じくゴシック小説からSFへという経路が生じる。
ゴシック的要素は、ウォルポールの『オトラントの城』の初心に戻って、たえず人間と超越的なものとの対峙を示し、超越的なものへの人間の畏怖の念を人間に呼び起こすことで、人間に人間の何たるかを認識させる物でなければならない。ゴシック的要素は、娯楽作品では恐怖心を呼び起こす香辛料にすぎないが、本来は超越的なものに人間を立ち向かわせる基本的な要素を抱え、そこから出発している。
現代においては、世紀はじまって以来の科学技術の発達で、人間は自分が作りだしたものによって未知なるものに向きあわざるをえない。宇宙の謎の解明プロセスにしろ、クローン生物の問題にしろ、現代人はたえずゴシックの原点に立たされている。
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