川崎浹著『ロシアのユーモア―機知と笑いの歴史 ―講談社〈選書メチエ〉1999

目 次

プロローグ ロシアの「危険な世論」

一章 アネクドートの誕生
 1. 近代国家の祖=ピョートル大帝の笑い
 2. 機知に富んだエカテリーナ女帝
 3. 近代アネクドートの最盛期

二章 民衆たちのテーブル・トーク
 1. 市民たちが見たレーニンとスターリン
 2. 抑圧の絆がゆるんだとき−フルシチョフの時代
 3. 花開く「風刺」と「皮肉」−ブレジネフの時代

三章 混迷の時代を生きる
 1. ユーモアのペレストロイカ
 2. 金持ちロシア人を嗤う

エピローグ ユーモアとロシア人

 


 社会主義という列車が走っていると、急に止まった。
スターリンが部下を見にやらせると、レールがなかった。
スターリンは鉄道関係者を全員粛清した。

 ブレジネフが列車に乗っていると、急に列車が止まった。
ブレジネフはレールがないことがわかると、窓のカーテンを全部閉めさせ、
車両をゆすらせて、列車が動いているように見せかけた。

 ゴルバチョフが列車に乗っていると、急に列車が止まった。
ゴルバチョフはレールがないことがわかると、全てのカーテンを開けさせ、
外に向かって、「レールがない、レールがない」と大声で叫んだ。

 これはソ連帝国が崩壊し、ペレストロイカ(再建)の時代になって、市民の間で伝えられた、ロシア人なら誰でも知っているアネクドートである。アネクドートはロシア社会にひろく浸透してきた「機知と笑い」のユーモアである。それはフランスからロシア貴族社会に「コント」という形で輸入され、18世紀の半ばに独立し、ロシア独自の「アネクドート」という呼び名と内容を確立した。

 日本ではアネクドートを小話と呼び、英語圏ではジョークと言っているが、もともとアネクドートは外国語にぴたりとはまる訳語を見いだすことの難しい言葉であり、ロシア独自の生い立ちと特性をもっている。

 アネクドートには政治、ユダヤ人、エロチシズム、軍隊、医療、犯罪、日常生活などの分野がある。とくに私がとりあげる政治アネクドートは、洒落やジョークほどに皮相的ではない。アネクドートは地口・語呂合わせを冷遇はしないが上座にはすえない。アネクドートは社会的で反権力的である。風刺と笑殺のきいた最後のとどめは単なるおちではない。だが、かつての貴族たちのアネクドートには雅びと品格があった。と違いを教科書ふうに並べたてるより、のちほど多くの実例を聞いていただいたほうが分かりやすい。

 そう、本来アネクドートとは口から口へ、耳から耳へと伝えられるものなのだ。 アネクドートの語源はギリシャ語の「未公刊」にあり、これはまだ活字としては公けにならず、口頭で伝えられることを意味している。このようにアネクドートは本来口頭で語られるもので、その後に活字になるという伝統は現代でも失われていない。とりわけ監視と抑圧のきびしかった時代には、「未公刊」とは密かな口頭によるコミュニケーションであり、活字になったとしても非合法の、藁半紙にタイプで打たれた地下出版にひとしい。それは権力と体制に向けられた民衆の矛先であり、体制にとっては目に見えぬ危険な世論でもあった。

 共産主義時代、アネクドートは声高にちらつかせることのできない火薬を蔵していたが、ソ連の体制が崩壊し、ペレストロイカとグラースノスチ(情報公開)の時代になっても、ロシア人たちはそうした習性からぬけきれず、東京のタクシーのなかでさえ、まるで運転手がロシア語を聞き分けるKGBの手先であるかのを警戒するかのように、声をひそめて、アネクドートをしゃべるので、アネクドートの内容よりも、そうした態度のほうが面白かった。

 ゴルバチョフ時代、私はモスクワ国際空港のあのうす暗いホールで、トランクが出てくるのを待っていた間、紹介されたばかりの二人の初対面らしいロシア人がアネクドートを話しているのを見た。ひとりが相手に顔だけ近づけて、自分の口もとを片手でおおい、耳うちする。聞き手と話し手がいっしょになって笑う。

 両者の身体は円錐形に傾き、足もとは離れたまま。盃の返杯のように二度、三度の応酬があって、数分もせぬうちに二人は意気投合し、まもなく握手して別れることになるが、驚いたことに、ひとりが二、三歩ひきかえしてきて、「これこそ、最後の最後のアネクドートですよ」といわんばかりに、また耳うちしたのである。その内容は知るよしもないが、とにかくアネクドートの笑いをとおしてコミュニケーションを果たすことができたという多幸症が、かれらの散文的な日常生活のなかに祝祭的な空間と時間をかもしだしていた。

 本書はロシア史の流れに沿って、弟1章は18世紀半ばから一九世紀初めまで、ピョートル大帝からエカテリーナ女帝の時代に、貴族社会で流行したアネクドートを紹介したい。当初は口頭で伝えられ、のちに活字になったアネクドートがやがて様式が固定し、文学ジャンルとしても認められるようになった。18世紀末から19世紀初めのアネクドートを私は近代という概念でまとめているが、近代アネクドートの最盛期はプーシキン時代と呼ばれる1830年代である。凋落しかけたアネクドート再生の機運には詩人のプーシキンとビャーゼムスキイが大きくかかわっていた。

 そのアネクドートの影がしばしの間うすらぐのは、「偉大な一九世紀ロシア文学」の華やかな登場のせいであり、表舞台から遠ざかっていたアネクドートが再び、華々しくといおうか、密かにといおうか、復活するのが20世紀の「10月革命」以降である。19世紀ロシア文学はしたがって近代と現代のアネクドートを1830年代と1917年の両岸に押しわけていたことになるが、同時に二つの岸を結びつける橋渡しをも演じた。くわしくは本書でのべることにしたい。

 共産党政権下になって、アネクドートはあきらかに近代アネクドートの伝統を受けつぎながらも、発信者の社会的階層と作品の機能がいちじるしく変質した。発信者も受信者も貴族から「人民」という名の一般市民に代わり、アネクドートはただのユーモアや冗談ではなく、権力と体制への風刺や皮肉や文明批評的な寓意や隠喩や象徴をはらむことになった。

 したがって、第2章ではレーニン、スターリン時代からブレジネフ時代までどのようなアネクドートが人びとの間で語られたか、また市民たちがアネクドートによって体制をどうとらえていたかを考察したい。

 そし第3章では、ゴルバチョフ以降のアネクドートを紹介し、ソ連崩壊がロシアのユーモアにどのような影響をあたえたかを考えたい。

 80年間のソ連帝国が崩壊してしまうと、市民の毒を放つ対象が消失し、政治アネクドートも影法師のように消える運命にあった。だからといって、あれほど辛辣に権力と体制を嗤いつづけてきた人びとが、自らの文化の口蓋を、今日から直ちに閉じられるものだろうか。だが、(文字どおり)幸か不幸か、ペレストロイカ以降のソ連・ロシア社会もアネクドートの対象として選ばれるにふさわしい混迷の政治と社会であり続けた。ペレストロイカの情報公開とともにレーニンやスターリンが復活してアネクドートの舞台に現れ、ゴルバチョフもエリツィンの民営化もアネクドートの新たな対象となった。

 そうしたアネクドートのきわめつきが、ソ連体制から資本主義市場社会への移行にともない、突然変異のように出現したニューリッチと呼ばれる「新ロシア人」である。体制の崩壊で標的をなくしかけていた旧ロシア人たちの風刺精神が、新ロシア人の登場で甦ったのである。

 本書をとおして、私たちはさまざまな機知、明るい笑いや暗い笑い、含み笑いや哄笑を経験しながら、気がついたらいつのまにか、18世紀のピョートル大帝の時代をへて、20世紀末のポスト・ペレストロイカにたどりつき、最後は激動のロシアに身を置いていた、というふうでありたい。


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